常設展
東アジアの茶文化
茶を嗜む――それは生活であり、粋であり、芸術であり、そして文化でもあります。
茶の故郷は中国です。古来より今に至るまでのその発展の歴史は、喉の渇きを癒し薬効を期待した当初の飲み方から、今日のじっくりと味わいながら飲むものへと変わっていきました。また、製茶方法の変化に伴い、茶器の形式と茶の味わい方も変化しています。更に漢民族の茶を嗜む風習は、使節や貿易を通してモンゴルやチベットの人々の生活にも浸透し、遊牧民族独自の茶の飲み方や茶器も発展しました。
唐・宋の時代、日本の遣唐使や留学僧、商人により、茶文化が中国から日本に伝えられると、地元の文化や精神、茶の儀礼に融け込み、厳かな日本式茶道へと発展していきました。明末には福建の僧侶が福建スタイルの飲茶及び宜興(江蘇省南部)茶器を日本へもたらし、文人が清談を交わしながら茶を飲む日本の風習と結びつき、「煎茶道」が形成されました。
明末清初になると、中国東南沿海部からの移民に伴い、茶を飲む習慣は台湾にも伝えられました。台湾では福建・広東地域の「工夫茶」の伝統を継承し、今や茶は芸術の域にまで高められています。
本展覧はこれらの脈絡に基づいて「中国の茶文化」、「モンゴルのツァイとチベットのバター茶」、「日本の茶文化」、「台湾の工夫茶」の四つテーマに分け、本院所蔵の茶文化に関連する文物を展示します。また、明代の茶寮や日本の茶室、モンゴルとチベットのミルクティーコーナー、及び現代の茶席などの空間を再現し、茶を味わう様々な情景を通じて各地域の茶文化と多様性をご紹介します。
中国の茶文化
唐風宋韻
中国の飲茶文化の歴史は長く、西暦七世紀には、すでに茶を飲む習慣が全国に広まっていました。唐代の人は、茶を沸かす時、先ず茶葉を臼にかけ粉末にし、茶釜の鍑(ふく)に投じて沸かし、それから湯飲み茶碗に注ぎ飲用しました。茶碗は越窯青瓷、及び邢窯白瓷が最も普遍的な器であったことから、「冰磁雪碗」と通称されています。
宋代の人は粉茶を茶碗に入れて、茶瓶より湯を注ぎ茶を点てることから「点茶」(てんさ)と呼ばれていました。宋代の人々は、「闘茶」と称する遊びを好みました。その方法は茶の湯により茶しぶきを出すことにあり、その茶しぶきの美しさを観察するため、多くは黒釉茶碗を、一般的には青や白の釉薬の茶碗が用いられました。
明代人の優雅な集い
明代の人の喫茶方法は、茶葉を直接茶壺に入れ、お湯を注ぎ蒸らした後、茶鍾に注ぎ飲用するもので、今日の蒸らして飲む方法の基となりました。また、茶壺と茶鍾とが主は主な茶器です。茶杯は「玉のように白く、茶の色がわかる」白磁が最も良いとされ、青花磁茶器も流行しました。茶器は既に存在していた陶磁器以外に、明末の宜興紫砂、及び朱泥茶壷の使用もまた大いに好まれました。
清代の品茶
清代の飲茶の風習も明代とそれほど変わりませんでした。とりわけ、康熙、雍正、乾隆の三代は清代宮廷における茶器の製造が最も盛んな時期でした。例えば康熙年間に西洋の宣教師より琺瑯彩の技法がもたらされると、間もなく茶器にも応用されました。また、景德鎮の官窯は隆盛を極め、多様な種類や装飾技法が開発された。素材、造型及び装飾技法のすべてにおいて最高の水準に達していました。
モンゴルのツァイとチベットのバター茶
清の帝室が中国を統治するようになってもバター茶を飲用する民族的風習を残し、さらにモンゴルの王侯貴族やチベット高僧との交流が頻繁に行われ、彼らをもてなす宴席でもバター茶が飲まれており、それらも清の宮廷で頻繁に行われる交流活動だったことから、バター茶用の茶器が数多く残されています。本コーナーでは当院が所蔵するバター茶用茶器の中でも特に優れた作品を展示し、清代における茶文化の多様な側面をご紹介します。
日本の茶文化
和敬清寂
八世紀中頃、中国の飲茶文化は遣唐使と僧侶によって日本に初めて伝えられた。十二世紀末には栄西禅師(1141-1215)が南宋から禅宗寺院の喫茶法を持ち帰り、日本でも飲茶の習慣と茶葉の栽培生産が盛んになりました。十五世紀、室町幕府将軍の足利義政(1436-1490)は武士、貴族、禅僧などの文化を融合し、書院の茶室で「書院茶」と呼ばれる茶会を行うようになります。その後、村田珠光(1423-1502)が質朴で簡素な茶室をつくり、茶人は欲望を捨て去り、修行により茶道の精神を求めるべきであると主張しました。そして千利休(1522-1591)が「和敬清寂」の茶道精神を提唱すると、中国から伝来した「唐物」茶器にこだわらず、質朴な器具を使うようになったため、簡素な和式茶器が誕生することになりました。
煎茶茗讌
十七世紀中頃、明代商人が長崎にやってきたこと、そして福建の高僧・隠元隆琦(1592-1672)が仏法を広めるため日本へ渡ったことに伴い、明代末の喫茶様式も日本に伝えられました。十八世紀、「売茶翁」高遊外(1675-1763)が、身分の貴賎を分かたず、禅俗融合の精神を目指した自在な喫茶態度を提唱した。この態度は日本の文人たちの間で瞬く間に広まり、当時の人からは「煎茶道」と呼ばれました。
台湾の工夫茶
明末清初、中国東南沿海からの移民活動に伴い、喫茶の習慣も台湾へと伝わり、次第に根を下ろして発展していました。台湾の初期の茶文化は、福建南部の「工夫茶」の伝統を受け継いだものであり、潮汕四宝と呼ばれる潮汕烘炉、玉書煨、孟臣壺、若深杯が主要な茶器として用いられた。
『台湾通史』の記載によると、嘉慶年間に福建から武夷茶が導入され、同治年間には英国人商人がウーロン茶の栽培を推奨したことで、大量に輸出されるようになりました。20世紀後半にはウーロン茶が台湾茶の特色となり、茶の色・香・味が重視されるとともに、喫茶の風潮が盛んになる契機となりました。1970年代以降、台湾では現代茶芸である「新人文茶」が興り、現代のファッション性とローカル文化が融合した、洗練され多様な喫茶のトレンドが形成されています。