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今期の展示

常設展
古代の書画に見える友人たち
益者三友、直を友とし、諒を友とし、多聞を友とする。

定期展「翰墨空間─故宮書画鑑賞」では、「古代の書画に見える友人関係」から発想を得て、故宮所蔵の書法、絵画、器物から27点を選び、「神仙と道を同じくする」・「士林の交遊」・「万物を友と為す」の3種に分類し、古代の書画家とその作風や様式、各作品の内容について見所を解説します。それと同時に、古代の作品を通して現代を見つめ直し、ご覧の皆さまが日常生活を送る中で得た美しい体験の数々を思い出す機会となり、この世界のあらゆる事物への感受性を高め、先人の思想や智慧が生み出した文化に親しんでいただけるよう願っています。
関連情報
  • イベント日 常設展
  • 場所 2F S203
宋 蘇軾
致道源尺牘
    蘇軾(1037-1101)、字は子瞻、号は東坡居士、四川眉山の人。黄庭堅(1045-1105)はその書法を宋代随一と讃えた。
 蘇軾と杜沂(字は道源)─両家は昵懇の間柄で、蘇軾が黄州に流されていた頃、杜沂の息子の杜伝(字は孟堅)も黄州で任官しており、蘇軾は孟堅に京酒を持たせたことを書簡で知らせている。わずかな言葉から、両家の親しい付き合いが知れる。楷書と行書、草書が入り混じり、用筆を見ると出鋒も心任せで、ごく自然で滑らかな筆致となっている。
元人
画寒山拾得像
 寒山(生没年不詳)、唐貞観時代の高僧。天台山寒厳(浙江省)を居所とし、よく詩を吟じたという。詩僧の拾得(生没年不詳)と親しく、「和合二仙」と称される。それぞれ平和と喜びを司り、永続的な友情が続くとされる。この作品に描かれた寒山は数珠を、拾得は棕櫚箒を持っている。二人の表情は禅悦に至っているかのように見える。衣服の線は「釘頭鼠尾描」で描かれており、角張った転折の線は力強く、重厚感がある。黒目の両側と指先、数珠には白い顔料が使われている。元代の画家顔輝の系統に近いが、残念ながら落款は無い。
明 張霊
赤壁
    蘇軾の書「赤壁賦」の一景が描かれている。さざなみが煌き、山林には橙色がわずかに添えられ、岩は鋭角的な筆致で表現されており、季節の変化や地形にふさわしい描写となっている。この賦には「与客泛舟」(客人と舟遊びを楽しむ)という一節があるが、船には主人と客人、童僕ら8人が乗っており、作者の想像と独自の解釈が反映されている。
    張霊(1470?-1511以前)、字は夢晋、呉郡(現在の江蘇省蘇州市)の人。唐寅(1470-1524)と同じ郡学の生員で、二人とも古代の文化に広く通じ、詩や酒で思いを表現した。
明 王諤
画渓橋訪友
 王諤(生没年不詳)、字は廷直、浙江奉化の人。絵画を得意とし、仁智殿に籍を置く宮廷画家として仕えた。明孝宗(1470-1505)に「当代の馬遠」と讃えられた。
 雲霧に覆われた渓谷で、青々と茂る松や雑木が風雨に吹かれて枝を揺らしており、梢を鳴らす風の音が聞こえてくるかのようである。橋の上に対岸の楼閣に向かう訪問客と、琴を抱える童子の姿が見える。約束した琴の演奏会に参じたらしい。山石の多くに大斧劈皴が用いられているが、この素早く強靭な筆致は浙派の典型的な特徴である。
明 崔子忠
雲中鶏犬
 許遜、晋朝汝南(現在の河南省)の人。旌陽令を務めたが、世の乱れを嘆いて帰郷し隠棲した。言い伝えによれば、許遜が135歳の時、鶏や飼い犬を含む42人の一族とともに洪州西山(現在の江西省)から昇天したという。この絵には牛に乗った許遜が一族を連れて仙境に向かう故事が描かれている。用筆と着色いずれも秀麗で典雅な趣がある。
 崔子忠(?-1644)、初名は丹、字は開予、山東萊陽の人。人物画に優れ、陳洪綬(1598-1652)とともに「南陳北崔」と称された。
清 陳澧
篆書六言聯
 陳澧(1810-1882)、字は蘭甫、東塾先生と称された。広東番禺の人。
 篆書で書かれた「雅言詩書執礼。益友直諒多聞。」という文は孔子(紀元前551-479)の『論語』─「季氏篇」と「述而篇」から取られている。陳澧はその字義を組み直して、古人の思想や智慧を伝えている。結体は上下に伸びて広がっている。整った筆墨には温潤な味わいがあり、「石鼓文」の影響が見て取れる。陳之邁氏寄贈。
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